他責って楽ですよね~。
先日、今年から飲食店を始めた友人とご飯に行ったときのこと。
事業の話から育成になった時、友人から「高校生バイトはダメだ」と、彼はきっぱり言われました。
話を聞くと
- メモをしてと言ってもメモしない
- ロープレしたのに本番ではできない(※ロープレは1回)
- 「〇〇やりたい」ではなく「〇〇はやりたくない」ばかり言う
- お金をもらう責任を理解していない
彼いわく、5人ほど雇って、ほとんどに共通していた印象だと。
でも私は、こう問いかけました。
「それって“高校生”が悪いの?」
誰かを責めれば、自分は楽なのは私も理解してます。
なぜなら、自分が変わらなくていいから。
たとえば、あなたが部下にイライラしたとき。
意見が衝突して自分の思いを譲れない時。
無意識に「相手が悪い」って決めていないでしょうか?
「アイツのせいだ」で終われば、自分の正しさが守られます。
でもそこには成長の余地も、学びの視点も、なくなってしまうと学ぶ機会が私自身多々ありました。
たった5人で「高校生は使えない」って言い切れる?
私は、こうも思いました。
ちなみに統計で信頼できるデータを出すには、各群で1,000人以上(計3,000人ほど)のサンプルが必要とされています。
たった5人で「高校生はこうだ」と断言してしまうのはあまりにもお互いに勿体ないのではないでしょうか。
それ、事実ではなく、感情ベースの話では?
自分にも「やれること」があったかもしれない。
私はそのとき、こう伝えました。
「もしそれを“自責”で考えたら、もっとできたことなかった?何かできることって見つからないか?」
- ロープレ1回で終わらせるのがベストだったのか
- “メモを取る意味”を伝えられていたか
- 「やりたくない」から「やってみたい」に変える工夫は?
└「した」と「できている」は違います。そもそもロープレにおけるチェックリストはあったのか
└そもそもメモの取り方は伝えたのか、メモをチェックするなどこちらからのアプローチはしていたのか
└バイトを「お金を稼ぐ手段」から「自分磨きの手段」にどうしたらできたか (人間は自分事になれば動きやすい)
もちろん全員が思うように動くわけではありません。
でも、「自分にできた可能性」があるなら、まずそこを考えたい。
というかそっちの方が「他人を変えるためにまず自分が動ける」思考になるのではないかと私は思っています。
それができたら、きっと見える世界が広がるはずです。
社会人なら完璧か? それも違う。
仮に、高校生バイトじゃなくて「社会人アルバイト」なら、全部うまくいくのか?
そんなわけありません。
- 責任感がない
- 返事だけ立派で行動が伴わない
- プライドが高く素直じゃない
年齢を重ねていても、課題のある人はいます。
だからこそ大事なのは、年齢じゃなく“目的意識”。
夢や目標がある人は、気づき力も、気遣いも違います。
その姿勢が評価に繋がり、信頼を生み、成長のループが回り出す。
「正しいかどうか」より、「自分はどう在りたいか」
正直、この話を友人にしたとき、もう彼の心は固まっていて、話はそれ以上深まりませんでした。
でも私は思います。
「高校生がダメなんじゃなくて、ダメな高校生も、社会人にもいる。」
結局、「誰が悪いか」より、「自分はどう在りたいか」を問える人が、成長します。
飲食店を始めた彼にとっても、これから出会うであろう「伸びる若者」の姿が、彼の価値観をまた変える日が来るかもしれません。
そんな日を、ちょっとだけ楽しみにしています。
最後に、あなたに問いたいこと
あなたの職場でも、「アイツが悪い」で終わっている場面、ありませんか?
「自分にできたことはなかったか?」
そんな問いを持つだけで、景色は変わります。
他責は楽だけど、成長はない。
自責は苦いけど、学びがある。
もしこの記事が、あなたの視点を少しでも広げるきっかけになったなら、
是非「自責」で考えてみて下さい。
書き出してみると実は沢山でてくるなんでザラですから。
是非、「そもそも論→自責→ネクストアクション」で考えてみて下さい