こんにちは!野口です。

先日、お土産で新潟産の白米をいただいたのですが、
いつぶりか記憶にないくらいの精製されたお米を自宅で炊き、
白米の白さと美味しさに衝撃を受けました。
(炊きあがった炊飯ジャーを開け「しろっっっ!」と家族全員驚きでした)

さて、今日のテーマ
「次があると思いがち」
ですが、

人はつい、
「また今度」
「次、会ったときに伝えよう」
「明日でいっか」
と思いがちではないでしょうか。

カレンダーには先々の予定が入り、
今週末のレジャーの行き先も決まっている。

そうやって日常を過ごしていると、
明日も来るし、
次の機会も当然あるような気がしてしまいます。

でも、
予定があることと、
その予定が必ずやってくることは同じではないんですよね。

明日が来る保証は、誰にもありません。

今日話している目の前の人と会うのも、
今日が最後かもしれません。

3年前に「最後だとわかっていたなら」というブログを書きました。

その中で、
大切な人と過ごす今日が最後だったとしたら、
今の接し方のままで後悔しないだろうか、
と自分の生き方について深く考えるきっかけになった本について触れました。

もし本当に「これが最後です」と事前に分かっていたら、
行動はきっと変わると思います。

適当に話を聞いたり、
「ありがとう」を次に持ち越したり、
謝ることを先送りしたりしないと思います。

もっと相手の顔を見て、
もっと丁寧に話を聞いて、
伝えたいことを、その場で伝えるかな、と。

もちろん、毎日毎日、
すべての出来事や瞬間に対し「これが最後かもしれない」と、
不安になりながら過ごしたいわけではありませんが、

次があることを当たり前だと思わないほうが、
目の前の時間を大切にできるのではないか、と思っています。

だからこそ、子どもが
「今日休みたい」と言えば、

昭和的価値観の親からすると
「微熱程度で休むんか?」と言いたい気持ちもグッと堪え、
「じゃ、休むか」とあっさりOKを出していたりします。

だって、休ませずにその後なにかが起き、
その会話が最後になったら、
休ませれば良かったと一生後悔しそうじゃないですか。
(ただの甘い親だという批判は受け付けます)

同じく3年前のブログで、
感謝の対義語を知っていますか?」という記事を書きました。

感謝の反対語は「当たり前」です。

「感謝力」が高くなれば、
目の前にあるものや出来事を
「当たり前」だと思ってしまうことは、
減っていくかなと思います。

家族がいてくれること。
仲間が一緒に働いてくれること。
お客様やお取引先のかたとご縁があること。

そして、明日もまた会えること。

どれも本当は、
当たり前ではないんですよね。

なのに、

いつも近くにいる人ほど、
つい扱いが雑になってしまったり、
話を聞きながら別のことを考えたり、
ありがとうを言わなかったり、
「また今度タイミングを見て話そう」と先延ばしにしたり、
ってことがないでしょうか?

初めて会う人には丁寧に接するのに、
大切な人には甘えてしまう。
(ついついやってしまいがちです)

今日会っているその人と、
今日の自分が話せる時間は、
今日の今しかなく、

明日また会えたとしても、
相手の状況も、
明日の自分の気持ちや状況も、
今日とまったく同じではなくなっているかもしれません。

だからこそ、

ありがとうと思ったら、今日伝える。
謝りたいことがあるなら、今日謝る。
連絡したい人が浮かんだら、サクっと連絡してみる。

仕事やプライベートでの、
いつもの打ち合わせや何気ない会話でも、

次があると思うと、
目の前の一回を軽く扱ってしまうこともありますが、

相手にとっては、
なにかの覚悟を持って臨んだ大切な大切な時間かもしれません。

必要以上にネガティブ思考になり、
先のことを心配しすぎては本末転倒ですが、

今日があることを、
当たり前だと思わずに生きることが大事です。

あれから9年
の記事でも「一期一会」の意識について書きましたが、

ひとつひとつの出来事を丁寧に積み重ねることが、
結果的に信頼やご縁につながっていくとも思います。

また明日会えたなら、
それは「昨日の続き」だと思わず、
また会えたというありがたい一日だと思い、

「また今度」を少し減らして、
今日できる感謝や恩返しは今日のうちに届ける。

改めて、
「日々の日常が当たり前じゃない」と

そんな意識を持ちながら、
「今」の時間を
大切に、感謝を感じていきたいと思います。